三重県ゆかりの作家、江戸川乱歩の短編小説「木馬は廻る」をリーディング作品として上演したもの。M-PADとは三重県津市の様々な飲食店で料理とリーディングを楽しんでもらおうという企画。このしたやみは昨年に引き続き二度目の参加となる。
前回は「赤い部屋」ということで会場全体を赤く染める演出だったが、今回は木馬小屋の丸屋根や、女切符切りの制服などから青を基調とした。
物語は「ガラガラゴットン」という回転木馬の廻る音で始まる。貧しい中年のラッパ吹きの格次郎は、勤め先の木馬小屋の若い女切符切りのお冬にささやかな恋心のようなものを抱くが、彼には女房子供がいるため、恋心は口に出せず、また彼女の欲しがっているショール一つ買ってやれない。そんなある日、回転木馬の演奏台でラッパを吹いていた彼は、若い男の客が彼女のお知りのポケットに封筒をねじ込むのを目撃する。ラヴ・レターだと思ってやきもちを焼いた格次郎はお冬のポケットから封筒を抜き取ると、それはラヴ・レターなどではなく、ピン札の入った誰かの給料袋だった。若い男の客はスリで、刑事に追われて証拠の品を処分したのだ。格次郎はひょんなことから手にした大金で、お冬にショールが買ってやれると大喜びし、普段乗ることのない回転木馬にお冬や仕事仲間とともに乗る。貧しい日々の暮らしや、失われた青春のことを思うと彼は「ばんざーい」と叫ばずにはいられないのだった。
乱歩の作品の中には珍しく誰も死なず、血も流れないが、華やかな回転木馬で、貧しい暮らしの糧をえるため働く姿は哀愁に満ち、最後にそれが「ばんざーい」と爆発する様が面白い。
上演では二口と広田が、丸い蚊帳の周りをぐるぐる廻りながら本を読む。
稽古開始当初、山口は「今回こそは台本を巻物にしないぞ」と言っていたが、この回転のイメージから結局、巻物シリーズの四作品目となった。
cafe Hibicore では、昼の公演もあったため、障子の裏にカラーフィルターを張りステンドグラスのような効果を出し、日本家屋と西洋の雰囲気を融合させ、津あけぼの座スクエアでは蚊帳から四方に万国旗をイメージさせる白紙を吊った。
会場のcafe Hibicore古民家のカフェです。天気も良好。今回は昼公演と夜公演があります。
夜公演前の食事風景。舞台に吊られた蚊帳がクラゲのお化けみたいです。
津あけぼの座スクエアでの4団体連続上演。このしたやみは最初の上演です。cafe Hibicoreとはまた違った趣になりました。
このしたやみ初の名古屋での公演。
うりんこ劇場は名古屋で生まれ育った人間なら大抵一度は見たことがあるというほどの、児童劇を創作・上演する劇場だが、
最近は学生演劇祭や寄席など児童劇以外の催しも行われている。
写真ではよく見えないが、幕などで劇場を覆わず、劇場の機構をむき出しで上演した。
写真の左手奥には、劇場の天井に何本もあるバトン(照明やセットを吊るための棒)を上げ下げする綱を纏めた
綱元(つなもと)があり、それが舞台装置の延長のように見え、空間全体が作品の雰囲気を出す手助けとなった。
上演終了後は、ポストパフォーマンストークや、交流の時間というものがあり、
観客も舞台空間に自由に入り、ブランコに乗って記念写真をとったり、
このしたやみメンバーと一緒に紙を片付ける人たちもいて、名古屋の方々との出会いはとても和やかなものとなった。
これまでのこのしたやみのチラシのイメージとは違ってポップなラブコメというイメージのチラシ。
これが会場の「うりんこ劇場」です。
広田が小道具を仕込んでいます。奥の綱元が見えるでしょうか?
2009年に鳥の演劇祭2ショーケースで上演して以来2度目の鳥取での上演。
鳥の演劇祭も規模が大きくなり、会場も増え、地ビールの試飲会など演劇以外の催しも多く、地域ぐるみの演劇祭という印象が強くなり、このしたやみ自身も参加しながら演劇祭を大いに楽しませて頂きました。
オープニングパーティーの様子。広田の奥にいるのはフィンランドから来た人形劇のイルポ・ミッコネン氏。
こちらはフランスのサーカスのメンバー。国際色豊かです。
写真は鹿野の民家を土日だけお店にしてしまうという“週末だけのまちみせ”という企画。
こちらでは、焼肉やタコスが食べられ、二階でくつろぐことも出来ます。タコスは行列ができる人気ぶり。
本番終了後、足を延ばして、投入堂へ!と出かけましたが、入山受付時間を過ぎており、投入堂見られず! がっくり肩を落とす二口。
近くの「もうけ神社」長い石段を上ると可愛らしい小さな社がありました。苔の絨毯が美しい神秘的な雰囲気のなか社に手を合わせる二口と広田ですが、この後、どちらかは地ビール試飲会で泥酔します。
三重県津市の劇団Hi!Position!!と、このしたやみが「このしたPosition!!」として共同制作した作品。
安部公房の中編小説『人間そっくり』をリーディング作品として創作したもの。
そもそもは2010年に劇団Hi!Position!!が京都で公演した際、山中の一人芝居を見た山口が、
「この人に火星人をやってもらって『人間そっくり』をやったら面白いだろうなあ」と思ったのがきっかけだが、
山口自身こんなに早く実現するとは思わなかったという。
地球人にそっくりな火星人(山中)が突如、作家(二口)の家に訪ねてくるが、
作家はどうしても彼が自分を火星人だと思い込んでいる地球人だと立証することができず、
最後は作家自身、自分が火星人なのか地球人なのか分からなくなってしまうという奇想天外な話で、
舞台装置も机と椅子と衣装が三組、同じように配置され、冒頭のシーンは俳優三人とも白い“そっくり”な衣装を着ている。
さらに火星人と作家それぞれの妻を広田が一人で演じることで、
“自分自身”を証明する最も有力な証人であるはずの妻自身が特定不能となり、
日常生活という自身の基盤まで浸食する“そっくり”の薄気味悪さを強調することとなった。
最後のシーンで作家に絡みつく巻物(台本)は、
“自分”を証明しようとして尽くした言葉そのものが“証明できないことの証明”となることを端的に表現した。
atelier SENTIO
津あけぼの座
西陣ファクトリーGarden
チラシ
前年11月に三重県で発表した『赤い部屋』を、このしたやみのホームグラウンドである西陣ファクトリーGardenで上演。
このしたやみの京都での公演は2010年9月の『二人で狂う』以来、実に1年半ぶりとなる。
恒例となっている本番終了後の観客との交流会の間にも、“レッド・ターイム”と称して、
会場全体を赤電球の明かりだけにし、その場にいる全員が、
作品中の“赤い部屋”倶楽部の会員であるような奇妙な感覚を味わった。
私たち「このしたやみ」、東京の「Shelf」、「第七劇場」、地元、津市の「劇団Hi!Position!!」が、津市内の4つの飲食店でそれぞれリーディング作品を上演し、
食事と舞台を一度に味わってもらおうという企画。飲食店も老舗洋食店、割烹、など様々で、空間としても、それぞれの趣がある。
このしたやみの会場は郊外の古民家で営まれているCafe Hibicore(カフェ・ヒビコレ)。三重県ゆかりの作家ということで乱歩を、なおかつ、食後に見ても気分が悪くならないものということで『赤い部屋』を選んだ。
前年の『道成寺』に続き、今回も、巻物型の本を二口、広田が読む。
昭和16年に建てられたという日本建築に、赤い椅子とナース服、そして、客席まで真っ赤に染め上げる照明は、江戸川乱歩の倒錯した世界と異様なほど調和した。
週末には、津あけぼの座で、4作品を一挙に上演。4団体とも異なるスタイルでのリーディング作品で、「リーディング」の幅と可能性を感じさせるものとなった。
料理を作ってくださったアグリロマングランマの皆さん。そろいの割烹着がかわいらしいです。地元の食材を使った料理もとてもおいしい。
食事はお膳で。奥に設えられた「赤い部屋」が異様です。
他のチームもあつまって、打ち上げです。このしたやみ3人はこのまま泊めていただきました。Cafe Hibicoreの皆さん本当にお世話になりました。
昨年創作したイヨネスコの『二人で狂う……好きなだけ』を、大阪大学で行われた国際演劇学会と、韓国の春川市で行われた春川国際演劇祭で上演した。
これまでの公演と異なり、アカデミックな観客、国際的な場での上演となり、大阪では英語の、春川ではハングルの字幕がついた。
特に春川公演は、このしたやみ初の海外公演で、山口は飛行機に乗ること自体、初めてのことだった。
会場の大阪大学21世紀懐徳堂です。最近改装されてスタジオが出来たということです。
国際演劇学会ということで客席に海外の方が多いです。大阪大学の院生に前説を訳してもらっています。『二人で狂う……好きなだけ』は英語では『Frenzy for two…or more』。
10月、韓国へ。春川での会場、チュクジェ・グックジャン・モムジです。まだ出来たばかりの新しい劇場です。
演劇祭の期間中、本部の前では、毎晩テントが出てパーティーが行われ、韓国の俳優さんや、お客さんと交流しました。山口の奥にいるのが今回、韓国に呼んでくれたプロデューサーの黄(ファン)さん、
広田と二口の間にいるのがボランティアスタッフの通訳さんです。ずっと一緒にいてくれてとても助かりました。
これで舞台道具すべてです。外側の木の箱も分解して、仕掛けになります。それでも大きすぎると空港で叱られました。
春川はタッカルビが名物。タッカルビ通りというのがあって、ずらりとお店が並んでいます。ほかにもいろいろなものをご馳走になりました。中には広田が悲鳴を上げるような食べ物も。
最終日はソウルを見て回りました。後ろ髪引かれる思い。願わくは再び。
日本演出者協会主催の日本の近代戯曲研修セミナーin関西の一環で、プロレタリア演劇の先駆けともいえる、平澤計七(1889-1923)と、秋田雨雀(1883-1962)の戯曲をリーディング形式で上演したもの。
このしたやみが平澤計七の短編三本を、大阪の劇団hmpシアターカンパニーが秋田雨雀の『骸骨の舞跳』を創作した。
平澤計七は演劇や戯曲創作の専門家ではなく、大正時代の労働運動の指導者的活動家であり、職工であった。
当時珍しく労使協調路線をとり、労働者の文化レベルを向上させることが、資本家と対等に話をすることだと考えた彼は、
労働運動の集会などで、演劇を上演した彼の作品には、プロの俳優ではなく、実際の労働者が出演した。
今回の公演では、酒と博打いがいの娯楽をという平澤の思想から、喜劇的要素の強い短篇三本を上演。また、公募で集まった様々な、年齢、職業、演劇経験をもつ人々が出演した。
上演後には、近代演劇の研究者、正木喜勝氏を交えてのシンポジウムも行われた。
2000年より行われている『かなざわ演劇祭』での公演。
会場は金沢を拠点に活動している劇団アンゲルスのAn Studioで、このしたやみの『紙風船』、名古屋の劇団 双身機関の『春と修羅』、そして劇団アンゲルスの『驟雨』の三本立てで
上演された。偶然ではあるが、岸田國士が夫婦をテーマに描いた『紙風船』と『驟雨』を一度に見られる機会となった。
数日前からの記録的な大雪にもかかわらず、会場には多くの観客が足を運び、2月6日の上演終了後には、出演者や観客も交えてのシンポジウムも行われた。
公演期間中ビルの3階が劇場、2階は観客の憩いの場として使用され、ドリンクやちょっとした食べ物を提供している。『今日の一皿料理』が、やたら手が込んでいて美味い。
シンポジウムのテーマは『創作の動機』。コップの中身はウーロン茶ではなくお酒。
公演後、金沢市の近江町市場へ。海鮮汁は安くてうまい。
昨年に引き続き、京都の二団体が、三重県の津あけぼの座で公演するという企画での上演。
3月に京都府立文化芸術会館で上演されたリーディング公演『道成寺』では、二口も広田も最初から舞台上にいたが、三重での公演では、広田演じる清子は後から登場する。
はじめ舞台袖から鈴をつけた足だけが人の頭の高さほどから突き出され、その後、ゆっくりと歩いて姿を現すシーンは、能の橋懸りと三島の倒錯的なエロスを連想させた。
津あけぼの座の支配人・油田さんと黒幕・山中さん。今年もすばらしいホスピタリティでお世話になりました。
2010演劇キャンプin中津川のオープニングとして上演されたもの。
会場となった岐阜県中津川市の常盤座は1891年創立。
その後、修復、改修を繰り返し現在に至っている。
村歌舞伎の風情あふれる劇場。
劇場の名前の由来になった常盤神社にお参り。
舞台前面の提燈も良い味です。
イヨネスコの不条理劇。舞台中央に蚊帳を吊り、中の世界、観客席や、音響、照明操作をする場所を外の世界として、
二人が演じる空間を、中間世界として、舞台空間を、中、外、中間の3つの世界で構成し、
中間世界に降り続ける雪を避けるため傘を、傘が壊れた後は座っていた椅子を使い、台詞にある、亀やカタツムリを表わした。
作品後半で外部世界の、照明、音響操作席から筒が伸び、彼らの中間世界に他者が侵入してくると、
彼らは蚊帳の中へ逃げ込むが、それによって世界は崩壊する。
生きる中で背負う心の中の罪の意識と、外からの罰、この二つから逃れるために、中間地点で馬鹿騒ぎを必死で続けなくてはならない人間の姿を浮かび上がらせた作品。
京都の町家の魅力を再発見しようという催し「楽町楽家」の一環として、妙心寺近くの町家、ギャラリー妙芸で上演された。
会場となったギャラリー妙芸は、「紙風船」が執筆されたのと同時期の1920年代の建物。
前半の「紙風船」は座敷の奥で、後半の「駈込み訴え」は中庭を背に上演された。
途中休憩中に、お客さんにも協力してもらい舞台を持ち上げ、座敷側から中庭側に移動した。
作品の魅力と、町家の魅力、双方が活きる公演となった。
日本演出者協会の主催する「演劇大学in京都」のプログラム「日本の近代戯曲研修セミナー」の一環として上演されたもの。
広田が清子の役を、二口がそれ以外のすべての役の台詞とト書きを落語のように読む。
「読む」ということをどのように見せるかということから、俳優は巻物状の台本を読み進めることでそれが垂れ下がり、古典の道成寺における清姫が蛇に変わっていくイメージを喚起させた。
この企画では「このしたやみ」による「道成寺」と併せて遊劇体による「生きている小平次」(脚本:鈴木泉三郎 演出:キタモトマサヤ)の上演。二作品上演後は、近代戯曲の研究家である阿部由香子(共立女子大学準教授)を招いて演出家とのトークも行われ、実践、学術両方面から近代戯曲へアプローチするという試みとなった。
筒井加寿子さんが代表をつとめる「ルドルフ」と私たち「このしたやみ」がそれぞれチェーホフの一幕劇「熊」を創作、上演するという企画。二つの団体による、全く異なる二つの「熊」が現れた。
「このしたやみ」の「熊」は2年半ぶりの再演となる。基本的な舞台美術は変わらないが、作品の質は2年半という月日を経て、大分変わったように思う。同じ作品に繰り返し取り組むことの大切さを感じる公演になった。
撮影:徳永ひろみ
このしたやみ 三都市公演
2008年12月に上演した岸田國士の「紙風船」を京都、鳥取、三重の三都市で上演しました。
[京都]
京都の東山青少年活動センターで上演。
真っ黒な空間に浮かぶ舞台は、西陣ファクトリーGardenとはまた異なった趣を醸し出しました。
また、初演時と同様、「紙風船」上演後、福永武彦の小説「あなたの最も好きな場所」のリーディングの試演会もご覧いただきました。
青少年活動センターということで、中学生や高校生など、これまでと違った年齢層の観客に足を運んでもらえた公演。
[鳥取]
「鳥の劇場」の主催する国際演劇祭「鳥の演劇祭2」のショーケースにお招きいただき、「紙風船」と「あなたの最も好きな場所」
を上演。ショーケースには京都の「このしたやみ」、栃木の「A.C.O.A」、熊本の「第七インターチェンジ」の3団体が参加しました。
「鳥の劇場」は鹿野町の小学校跡を利用して作られた劇場の名前であり、そこを拠点に創作活動をしている劇団の名前でもあります。
こちらが会場の「しかの心」。「鳥の劇場」のすぐ向かいで、元々織物工場だった建物を普段は集会所として使用しているそうです。
中には喫茶店もあります。声の響き方が柔らかく、西陣ファクトリーGardenに近いものがあります。
鹿野は城下町で、迷路のような古い町並みが今も残っています。
宿泊用にと貸していただいた民家です。私たちと「A.C.O.A」、それからルーマニア人のボランティアスタッフの方々で数日間共同生活しました。
温泉つきです。土地の人たちはとても親切で、自分たちの演劇祭に誇りをもっておられました。
帰りに寄った鳥取砂丘です。「砂の女」を思い出します。
[鳥取]
津あけぼの座のプロデューサー油田晃さんと、京都の大藤寛子さんの企画で、私たちの「紙風船」と豊島由香さんの「かえるくん東京を救う」(村上春樹)
の二本立てという企画に参加しました。
2日前には日本海に居たのに、今は伊勢湾、太平洋。不思議な気がしますが、3人ともはしゃいでます。
劇場近くの橋、ここから江戸へ向かったことから「江戸橋」と言います。近くの駅名「江戸橋駅」もそこに由来します。
こちらが「津あけぼの座」。元々学習塾だった建物を自分たちで改修して、劇場にしたそうです。今回も、私たちの公演のために劇場を改造してくださるなど、たいへんお世話になりました。
その土地のものを食べ、その土地の景色に浸り、その土地の人たちと触れて、作品を見てもらう。豊かな時間です。
このしたやみ 初の旅公演はみなさまのご協力で大変有意義なものになりました。ありがとうございました。
安部公房の小説「砂の女」を舞台化したもの。
あり地獄の巣のような穴の中、砂に埋もれつつある小屋の中で暮らす女と、そこに監禁された男。
男はあらゆる手段で逃げ出そうとするが、失敗を繰り返し、やがて、女と砂に取り込まれていく。
“砂があってこそ立っていられる存在”として、女の半身を舞台中央の砂山埋め、いわば棒倒しの棒のような
状態で、移動できないようにした。一方、男の指には包帯を巻き、男が性的に不能であることを表した。
また、舞台の四隅に吊るされた一斗缶から砂を降らし、その下に、文明社会での生活や思い出を象徴する時計、書籍、鏡、人形
を置き、時間の経過と共に、文明的価値観が砂に飲み込まれていく様子を表した。
男が少しずつ理由をつけて諦めていく様は、普段当たり前に感じている生活や人生が、実は多くの絶望の上に築かれた
砂上の楼閣であることを感じさせる。
最後に男は脱出のチャンスを捨て、自らの手で自分自身を砂に埋めていく。
一つの人生が砂に埋もれる瞬間、社会から一人の人間がいなくなる瞬間は、静かだった。
フィンランドに留学中の劇作家山口茜の書き下ろし脚本「人は死んだら木になるの」
を「このしたやみ」を含む3つの団体がそれぞれ上演するという企画に参加したもの。
二人ずつのシーンが、交互に相手を変えながら進んでいくという脚本の構造を利用し、
二口、広田は衣装を変えながら、入れ替わり立ち代り、それぞれ四役を演じ分けた。
今回はこのしたやみ初の試みで、二人以外に、川津かなゑ、清水光彦の二人に出演してもらった。
出演といっても、この二人は、役柄を演じるのではなく、二口、広田が中国語で演じるシーンの
通訳をしてもらったり、舞台転換をしてもらうなど、いわば狂言回しのような存在で、
作品中に役柄を演じる以外の存在を持ち込むことは、ともすると閉塞しそうになる劇空間に吹き込む
風のような効果を生み出した。
脚本の螺旋階段を思わせる構造と、タイトルのイメージから、角材で組んだ井形を少しずつずらして
くみ上げた、ねじれた木を連想させるオブジェを舞台中央に置き、俳優はあたかも回遊魚のようにその周りを
回りながら役柄を変えていく。また、この装置は巨大なポールハンガーとしての役目を持ち、人物イコール
衣装という図式を表すことで、人間存在の本質の欠如を視覚的に表現する狙いもこめられていた。
相互不理解と、そこから生まれる本質的な願望を失った現代の人間像を、捩れ曲がった木のイメージに重ねた作品。
当初、岸田國士の二人芝居「紙風船」として企画したが、
より深く男女の関係性と、人間存在の孤独を表現するため、
福永武彦の小説「あなたの最も好きな場所」の朗読を組み合わせた作品。
「紙風船」は、一段高い場所に二畳の座敷を組み、周囲を囲むように落ち葉を敷き、
世界にぽつんと存在する夫婦の空間を作った。また、中央にちゃぶ台を置くことで、
夫婦それぞれも空間的に孤立させ、お互いを殆ど見ずに会話が行われる。
互いに気にかけるあまりギクシャクする夫婦関係、
それでも関係を持ち続けていきたいという人間の孤独を表した。
「あなたの最も好きな場所」は、まだ互いのズレに気づく前の男女の話。
敷き詰められた落ち葉の上で朗読し、「紙風船」の舞台はそのまま残すことで、
二つの物語を視覚から繋げるようにした。読み手と役柄は時折入れ替わり、
小説世界と読み手の距離を近づけたり引き離したりすることで、他者を強く意識できるようにした。
広田ゆうみの一人芝居「藪の中」と二口大学の朗読「鼻」という構成。
広田は一人で「藪の中」の登場人物である、4人の証言者と3人の当事者を演じるが、
衣装替えなどはなく、脇に座った二口の拍子木と呼び出しの声で、人物が変わる。
前半の4人は、天井から吊るされたすだれに、小枝を生花のように差しながら証言を行う。
これにより舞台上に藪(事件の謎)を形成し、3人の当事者は夫々異なる立ち位置で藪と関わる。
「鼻」は「藪の中」同様、さっぱり謎の解けない事件を扱ったものだが、
「藪の中」とは逆に、喜劇的な話で、ロシア文学にもかかわらず、落語のような作品。
同じように解けない事件を扱いながら、印象が真逆になる二作品を並べてみることで、
個別に観るのとは異なる世界ができないかという試み。
太宰治の「駈込み訴え」を二口大学が演じ、別役実の「《青いオーロラ》号の冒険」を広田ゆうみが朗読する2部構成。
「駈込み訴え」では、ユダは畳の上で一歩も動かず、立ち上がりもしない、いわば落語のような限定された姿勢の中での
表現の可能性を追求し、「《青いオーロラ》号の冒険」でも、音響効果、照明変化など使用せず、朗読者のみの表現とした。
また、一人芝居の際には舞台奥に広田を、朗読のときは手前に二口を配置した。
今回は作者すら異なる、まったく別々の二つの世界だったが、二つの作品で広田が歌う賛美歌306番と、
台詞をはいたり、動きで表現したりするわけではないが、観客の目に触れる場所に、二人の俳優がいることで、
観客の脳内で二つの作品に橋が架かるのではないかということを試みた。
いわば、#1で試された、観客の脳内で生まれる関係性をもう一歩進め、役柄を演じているわけではない
「ただそこにあるだけ」の俳優の存在が、観客に、また、同じ舞台上にいる俳優にどんな影響を与えるのかを検証した作品。